金正恩は幸せなのか? 『国家』から読み解く独裁者と正義
プラトンの正義から考える現代の独裁者の危険性
■金正恩は幸せなのであろうか
独裁者である金正恩は、多くの国民が貧困と飢餓に苦しむ中でも、富と財産を独占して贅沢な暮らしを送っていることだろう。国家の権力を集中させて、その気になれば好きなことをやりたい放題にできるのかもしれない。
だが、そのような独裁者としての生き方は本当に幸せな生き方なのだろうか。側近を粛清したり、異母兄弟とはいえ実の兄を殺さなければならないほどの猜疑心に囚われているのであれば、決して幸せな生き方をしているとは言えないのではないか。
また、世界に目を向けてみれば、トランプ政権の誕生、イギリスのEU離脱決定、ヨーロッパ各地の反移民運動の高まりのような現象から、従来では「正しい」とされてきた理念が疑われ、国家の利益を追求するような動きも多く見られる。
これはまさに、真面目に移民の受け入れを続けていれば対策のために国民の財産が失われたりテロが頻発したりするのであれば、それまでの理念に反した方針を取ったほうが国民の利益になるというような考え方に基づいた動きとも取れるだろう。
だが、長い目で見た時に、理念を無視してでも利益を追求することは正しいのだろうか。時に不利益を被ったとしても、「正義」に適った国家の在り方や生き方を考えていく必要があるのではないか。
紀元前に生きたプラトンの著作は未だ褪せることなく、2300年以上も後の現代に生きる私たちに対しても、このように問いかける力を持っている。(参考文献:プラトン『国家』岩波文庫・藤沢令夫訳)